2011年3月11日を経たあの頃。
「自分のやっていることに意味はあるのかな」と、エンターテインメントや芸術関係をはじめ、人命やインフラに直接関わらない職業の人々が言葉にしているのを、何度か目や耳にしていた。
私の当時の勤め先は介護関係の会社の本社で、東北にもいくつか事業所があった。
幸い、利用者にもスタッフにも人的被害はないとのことだったが、設備の損傷はそれなりにあるようだった。
そして物資の不足。
会社は社用車を走らせ現地に物資や人員を送り、私を含め数人の社員は通常業務と並行してその後方支援に当たった。
私個人は被災地を直接助けるようなことはしていないけれど、こうして間接的に関わっているわけで。
そんな私の仕事も、いろんな人やモノや機関に助けてもらってできているわけで。
私に限らず働く人皆、いろんな人やモノやサービスに支えられてるから仕事する元気があるわけで。
そう考えると、被災地支援に関わっていない仕事など存在しないのでは?
そんなことをぼんやり思ったりもしていた。
医薬品に食料や寝具、人員、現金…といった、被災地事業所からの要望内容に見えてくる現状。
毎日テレビで流れる津波や街の残骸や瓦礫の映像。
日々増えていく犠牲者数。
原発事故のニュースとその続報。
節電により、明かりの減った街。
大小続く余震。
広がる自粛ムード。
蛍光灯も社内サーバーも使えなくなる、勤務時間中の計画停電。
原発や放射能の問題をめぐり紛糾するSNS上の論客。
玉石混交の情報。
ACジャパンだらけになったテレビCM。
震災発生時、私の暮らす地域の揺れは震度5強。
それなりに恐怖を感じる強い揺れではあったものの、生活が壊されるような被害はなかった。
寝起きして通勤して仕事する。
日常は途絶えることなく続いているのだけれど。
その “日常” には、とてつもなく大きな “非日常” が混在していた。
ある日の計画停電は、仕事終わりの帰路、最寄り駅から自宅まで歩いている途中にその時間を迎えた。
街灯や信号機や家々の明かりが一気に消え、暗闇に変わったあの瞬間のことは、今でもはっきり覚えている。
帰宅後、停電が解除されてから、ライブの予約メールを1通送った。
予定通り開催されるのかもまだわからない。
それでも何か、先の楽しみが欲しかった。
間もなく返ってきた返信に、少し心が軽くなった気がした。
後日、開催が正式に確定した
2011年3月23日(水)西川口Hearts
OTODAMA×Hearts presents
『OTODAMA ROCKS!』
と、喜びを噛みしめるくらい嬉しかった。
予定されていたライブが予定通り開催されることが、こんなに嬉しいなんて。
当日は西川口Heartsで友人たちと久しぶりに再開できたのも嬉しかったし、色々あるだろうけれどみんな元気そうだったのも嬉しかった。
お目当てのYKJはトリ。
ライブの内容は詳細には覚えていないけれど、当時のYKJ公式ブログによると、2曲目でギターの弦を切ったらしい。
確かにセットリストを見ただけで、どれだけの思いや熱だったか分かる気がする。
何より印象的だったのは、ラストに披露された新曲「太陽が待ってる」。
どうにもならない状況や想いというものが、それぞれの中にそれぞれなりの大きさで在る。
あまりにもどうにもならない現実を見て聞いて体感して、鬱屈したものがたまり、人の諍いにうんざりして、社会全体が出口の見えない混沌に包まれた気がして、それでもなにか言葉にするのは憚れる気がして。
でも、支え合えるから。肩を叩いてくれる人は必ず居るから。
真正面から現実を受け止めて、そしてグッ!と踏ん張れる。
そんな力をくれる歌だと感じた。
負けんな、か。うん、そうだな。
…と、その日は眠りにつくまで何度もそのメッセージを噛み締めた。
それからも。
頑張って疲れかけている時には、涙しながら。
頑張りが一区切り着いた時には、何だか肯定された気持ちになりながら。
ライブではいつも深く噛み締め、頷き、真顔で聴き入るくらい、大事な1曲となっている。



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